アラフィフになって辞めた事。
それは・・・ムダな我慢です。
年齢を重ねることによる図太さもありますが(笑)。
人生振り返って、我慢して良かったと思う事って殆どないんですよ。
昔は「我慢すれば人は強くなる」と言う言葉を信じていましたが。
我慢したからって強くなる訳ではなく、蓄積されて爆発するだけなんです。
この頃、よく実感するようになりました。
ムダな我慢を辞めたことで、周りが扱いづらくなったかもしれません。
それでも、ムダな我慢を辞めたことで感じたメリットをお話したいと思います。
「こうしたい」と伝えられるようになった
例えばレストランに入った時、食べたいものを注文しますよね?
レストランの注文のように、「こうしたい」と伝えるのです。
レストランで注文せずに、”察してよ”と思い、何も出てこなくて怒り出すのはおかしいですよね?
でも、”察してよ”と思って何も伝えず、ただ怒り出す人いませんか?
私も昔は”察してよ”タイプでした。
でも、これだと何も伝わらないんです。
我慢が美徳だと教えられた影響は大きいと思いますが。
それより「こうしたい」と言われた方が気持ち良くないですか?
我慢した方がラクだなと思う時もありますが、最近は状況を見ながらも伝えるようにしています。
相手のことがすんなり受け入れられるようになった
我慢している時って、相手の言うことがすんなり受け入れられなかったです。
「自分も我慢しているんだから我慢して」と思うところがありました。
でも、これっていい迷惑ですよね?
なんであなたの我慢のとばっちりを受けなきゃいけないのって思いませんか?
自分が我慢することによる弊害ですよね?
ムダな我慢を辞めてから、相手に謎の我慢を強要することなく、すんなり受け入れられるようになりました。
自分も「こうしたい」と伝え、相手もどう感じるのか聞く。
当たり前のコミュニケーションですが、すんなり出来るようになるには、自分のメンタルが大事だなと痛感します。
自分の機嫌が良くなった
「自分さえ我慢すれば・・・」そう思って我慢し続けていませんか?
そういう人って案外態度に出ています。
機嫌が悪かったり、人によって態度を変えたり。
何となく察知するのです。
ムダな我慢を辞めてみると、そういった態度が激減します。
自分の伝えたい事は伝えているので、精神的に穏やかになります。
それによって嫌われたらそれまでだし、苦手な人とは距離を置くようにすればいいのです。
自分の事を大事に扱わない人に無理して我慢しても、エネルギーが消耗するだけです。
そういう負のエネルギーを回避することで、メンタルが安定してきました。
ムダな我慢を辞めてみるって昔は考えてもみませんでした。
アラフィフになって実感しましたが、人生には終わりがあるってことに。
人生の残りが、あとどの位あるのか分かりません。
その貴重な時間を、ムダな我慢で埋めることが勿体ないと思えるようになったのです。
無駄に我慢している人、少しでも思うところがありましたら嬉しいです。
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